ロングインタビュー2 "サニーデイ・サービス『本日は晴天なり』前編"





3人揃ってサニーデイ・インタビュー、後半の前半(ややこしい)は、
まずはライヴの話から入って、徐々にアルバム『本日は晴天なり』の話へと流れていく。
作品に込められたメッセージ、そしてその正体は何か、ということを話し込んでいくつもりである。


場所は1ヶ月前と変わらない下北沢、金曜の居酒屋の奥座敷
同じように横並びの3人の親密度が、心なしか増してるように見えたのは気のせいだろうか?
スロースタートで始まったトークは次第にヒートアップ、
そしてなかなかのところまで突入する前半戦でなのであった。






 サニーデイのライヴで100%パフォーマンスできる感じにはなってきた。
 最初やった時には、田中&晴茂くんと僕の間にかなりスキルの差があってさ。
 じゃあ今、2人が上手くなったのかというとそうでもないんだけど(笑)、
 なんかね……揃ってきた。今は田中や晴茂くんの演奏に引っ張られたりするからね。







——さて2回目となるサニーデイ・インタビュー。今回はアルバム『本日は晴天なり』の中身に踏み込んでいくんだけど、その前に、まずは昨日終わったばかりのトラッシュキャン・シナトラズとのツアーについて話したいと思って。ライヴは、そろそろ慣れてきた?
曽我部「うん、ちょっとずつおもしろくなってきてると思いますよ。最初はリハビリっていうか、かなりそういう感じだったけど(笑)」
丸山「3人でやるのがすごく新鮮で。始めはどうなることかと思ったけど、個人的になんとなくまとまってきた手応えは感じますね。まあ、それはすごい最近ですけど」
——今週は月、火、木と立て続けにライヴしたわけで、これまでに比べるとものすごいペースでしょ。
田中「短いながらもツアーだし、こうして続いていくと徐々によくなっていきますね。ただ、もう少し定期的にやらないと、元に戻っちゃうんだけど(笑)。そこはライヴじゃなくてもリハに入ったりして、定期的にやりたいなと思いますね」
曽我部「個人的な話をすると、サニーデイの中で100%パフォーマンスできる感じにはなってきてると思うのね。というのも、最初にやった時には、田中&晴茂くんと僕の間にかなりスキルの差があって。じゃあ今、2人が上手くなったのかというとそうでもないんだけど(笑)、なんかね、揃ってきたんです。去年、上野(2009年4月4日@上野恩賜公園)でやった時なんて明らかに俺が歌が上手い感じしてたけど——」
——曽我部くんだけ飛び抜けてた?
曽我部「それは自分でやっててもわかるし、その部分をお客さんにアピールしていこうって気持ちもあるから。それに対する批判というか、『2人はあの頃と変わらないのに、曽我部だけが10年の間に変わってしまった。サニーデイっぽくない』って意見もお客さんの中にあって。僕自身もちろん変わってるわけだから、それはそれでいいんだけど……やってるうちに、なんか揃ってきたんですよ」
——揃ってきたって、どういうことなんだろう?
曽我部「口で説明するのが難しいけど……サニーデイでやる場合の力の置きどころがわかってきたというか。自分の才能のMAXをやろうとすると、俺とかものすごくソウルフルな表現になるけど、『サニーデイはそれとは違うところなんだな』ってだんだん思い出してきたというか。だから今は、演奏に対してかなり一生懸命やれてますよ。今は田中や晴茂くんの演奏に引っ張られたりするし」
——あ、そういう感じもあるんだ。
曽我部「僕が当時の感じに戻ったんだろうね。僕はこの10年で他の方法論も身に付けたけど、それが2人とやることでだんだん剥がれ落ちて、当初のものに戻っていった」
——トラキャンと会うのもひさしぶりでしょ?
曽我部「一緒にライヴやるのは前のツアー(99年「太陽の翼」ツアー)以来だから、10年ぶり? あれも場所は同じクアトロで……いや、今回もよかったよ。なにより、トラキャンが変わってないのがすごくて……いろいろ考えましたね。彼ら全然変わってないの。見た目も変わってないし、やってることも雰囲気も変わらない——そういうのっていいよね。だって、日本だと難しいでしょ?」
——10年ぶりに再会して何も変わらないって、なかなかね。
曽我部「特にミュージシャンなんて、売れなくなると変わらざるをえないし、売れてもダメだし、体調壊してもダメ。きっと彼らは“音楽業界”みたいなところで音楽をやってないんだろうね。『自分たちの生活の一部として、または生活のすべてとして音楽があるから、変わらずにやれてんのかなぁ』って感じはすごくした。で、演奏にも徐々に円熟味が出ててさ。基本的には変わってないんだけど、ワインが美味しくなるような円熟味が出てるんだよ。それは素晴らしいと思ったし、羨ましいと思ったね。だって俺らはもう1回解散しちゃってるから、できないし」
——トラキャンと10年ぶりに演奏するなんて思ってもみなかったでしょ?
田中「うん、彼らもずっとやってるにしても、大変な時期はあっただろうし。俺らだって、その間に解散してるわけだし」
曽我部「10年あれば普通は何か起きると思うんだよ。今だって、バンドだけで食えてると思えないし。でも彼らにとって、売れてるとか売れてないってそんなに関係ないんだろうね。それは演奏を見てるとわかる。もう、呼吸するように音楽やってるんだよ。そういうことを日本でやってる人、いないでしょ? みんな趣味か仕事、そのどっちかでしょ? 一昨日(3月3日)やった彼らのアコーステイックライヴが素晴らしくてさ……もう、自然に素晴らしい音が出てるの。緊張してやってるわけでもなく、こういうふうに演じようって意図が見えるわけでもなく、とにかくパッといて、すごくいい音楽が成立している……ずっと続けてる人じゃないと鳴らせない音がありましたね」
——でも久しぶり会った知人が、幻滅することなく、やはり魅力的な存在だったって、すごく嬉しいことだよね。
丸山「別れ際、楽屋に挨拶に行ったんだけど、その時に本当に泣きそうになっちゃって。メンバーと抱き合ったりしたんです。その感情が今もずーっと続いてて、昨日も彼らの夢とか見たり……なんかセンチメンタルになってるんだよね(笑)。やっぱり楽しかったんですよ。ツアー中ゆっくり話したりしたわけじゃないのに、ものすごい近い存在だったというか……きっと、そこには何かがあったんですよ」






 今回のアルバムは「これがサニーデイですよ」ってことを問いたいというか、
 「君の記憶の中で美化されてるものは、これだったんですよ」ってことをやりたかった。
 だって、そこに感動があったら本物じゃない?
 聴き手にとっての最高のプレゼントって、そういうものだと俺は思うからね。







——さて、お客さんのリアクションって、どうでした?
曽我部「サニーデイのお客さんは、やっぱりサニーデイのお客さんだね。ワイワイならない。昔はそういうのがイヤだったけど、いろいろ経験してくると静かに聴くこともひとつの愉しみ方だと思うし。今はそういうことを気にしなくなったぶん、自分たちがやるべきことに集中できるようになりましたね。昔は『盛り上げなきゃ』みたいな気持ちもあってビートの強い曲を要所要所に挟み込んでたけど、今はないよ。そんな盛り上がらないのもわかってるし(笑)」
——見てて、お客さんがサニーデイを温かく迎え入れてる気がしたけど。
曽我部「ん〜…………温かく迎え入れられてる感じは、俺はしないけどね。緊張感を持って観られてる感じの方が強い。まあ、俺がリスナーだったら、まず疑って観るからね。『どうなのよ再結成?』って。だから、そういう眼差しを感じるし、そういう人たちを納得させられるようなパフォーマンスができてるかどうかは、まだわからないね」
——2010年のサニーデイとしての説得力?
曽我部「俺はアルバムに関しては、そのハードルをクリアーできてる気がするの。疑って聴く人が『これだったらいいんじゃない?』って合格点を付けてくれるような。でもパフォーマンスに関しては……どうなんすかね? “こういう演奏をアピールしたい!”ってものを持ちたいと思うんだけど、それが今ちょっとだけ見えてきた気がして」
——見えてきた?
曽我部「たとえば昨日演奏した曲でいうと、〈あじさい〉〈BABY BLUE〉……〈週末〉はまだダメかな?……そのあたりは当時の演奏よりいいと思ってるの。あ、〈月光荘〉もいい。〈恋はいつも〉もいい。それ以外は、ひょっとしたら当時の方がよかったかもね」
——確かにライヴを観てて、ナツメロのように聴いちゃう曲と、グッと気持ちが入り込む曲の両方があった。
曽我部「それが大事なんだよ! 演奏にガーンと入ってきてくれるかどうか。そこを今は追求してて。昔はサニーデイのライヴって、曲を丁寧に再演するというか、“生演奏でのリスニング”を主な目的にしてたわけ。でも今はそういうのは目指してなくて、3人が演奏してる隙間にお客さんが感情移入してきてほしいってところでやってるの。それができてるかどうかは置いといて、目指すところはわかってきた」
——そうなると、より演奏力が重要になってくるね。パフォーマンスの中身。
曽我部「もう、何もゴマカシきかない状態にしたいのよ。かつては“サニーデイ=この演奏ヘタな3人が合奏することで醸し出す何か”だったわけで、それがすごく良かったはずで。だったら、もう一回丸裸でやってみて、それでダメだったら、『サニーデイはそもそもダメだったんだ』ってことでいいと思ってるんだよね。だから、ここに高野(勲:キーボード)くんとか新井(仁:ギター)さんを入れて、“なんとなくサニーデイ”を完成させて見せることにはまったく興味がなかった。『サニーデイというのは本当に良かったのか?』『サニーデイは本当にミュージシャンとして素晴らしかったのか?』『みんなの頭の中にある10年前の記憶は、本当に素晴らしい出来事だったのか?』ってことを、もう一度確かめたいんだよ」
——言い訳きかない丸裸の勝負。
曽我部「うん、言い訳きかない方がいい。最終的に3人だけでやろうって決めたのは、そこに勝算があったからなわけで。『あ、サニーデイってこれだったんだ』ってことを純度高く提示する……それが今、ライヴでできてると思わないから、もう少しちゃんとやらないといけないと思ってる」
——個人的には〈週末〉と〈月光荘〉に感情が入り込みました。
丸山「〈月光荘〉は良かったね」
曽我部「小手先で作った曲ってなんかいまいちなのよ。〈朝〉とか。あのさ、時間に追われながらレコード作ってると、『この曲ってあんまり意味ないよね』って曲が絶対出てくるんだよ(笑)。たとえば『MUGEN』における〈空飛ぶサーカス〉とか。もちろん入れるべくしてアルバムにいれるし、必要な曲なんだけど。あとコンセプトありきで作った曲とかも、そういうのはだんだん演奏しなくなるね。残るのは必要に駆られて作った音楽。それが今回ライヴをやることで見えてきたのはよかったよ」
——10年の歳月で自然淘汰された、と。
曽我部「アルバムもゴマカシきかないところでやりたかったから、ゴージャス路線じゃないんだよ。晴茂くんが叩いたものをプロトゥールスで丁寧に編集したり、田中が弾いた間違いを直したり、オレの歌のピッチをキレイにしたり、そういうことは全然しなかった。ソカバン(=曽我部恵一BAND)でももっと手を加えるかもしれないのに。今回は『これがサニーデイですよ』ってことを問いたいというか、『君の記憶の中で美化されてるものは、これだったんですよ』ってことをやりたかったんだ。だって、そこに感動があったら本物じゃない? 聴き手にとっての最高のプレゼントって、そういうものだと俺は思うからね」






 アルバムのイメージはぼんやりとはあるんだけど、
 なかなかその形が見えなくて……まずはサニーデイの原点というか、
 「そもそも俺たちは何をやりたかったのか?」ってことを探してた。







——では、具体的にアルバムの話を訊いていきたいんだけど、どういう手順で作っていったの?
田中「曽我部から『サニーデイ用の曲ができた』って初めて曲を聴かされたのが2008年の年末、ライジンからしばらく経ってから。そこから去年1年かけて、少しずつ作っていった感じですね」
曽我部「最初に作ったのは1曲目に入ってる〈恋人たち〉。あれができたのが出発点というか。〈ふたつのハート〉なんてそれ以前からある曲だし、曲はどんどんできていったね」
——事前に、こういう作品を作ろうっていうイメージはあったの?
曽我部「うーん、ぼんやりとはあるんだけど、なかなかその形が見えなくて……まずはサニーデイの原点というか、『そもそも俺たちは何をやりたかったのか?』ってことを探してた感じかな。今回レコーディングではいろいろやったけど、ふるいにかけていくと、最終的にはそういう原型が残ったね。そもそも、これまでのアルバムって『こういう作品を作ろう』ってコンセプトが常にはっきりあったんだよ。『東京』だと“はっぴいえんど的なものとキャロル・キング的なものを掛け合わせてアコースティック”とか、『愛と笑いの夜』は“ブリットポップとかオアシスみたいなもの”っていう具体的イメージがあった。でもそういうのが今回はまったくなくて」
——やりながら考えていった感じ?
曽我部「去年の始め頃は、仕事場まで歩いていって、着いたらまず曲を作るってことをしてたね。朝の空気の中で感じたことをサッと曲にする——2曲目に入ってる〈Somewhere in My Heart〉なんてそういうふうにできた曲で。ソカバンだったらロックンロールっていう軸があるけど、今回はそういうものを全部取っ払ったところで、自分からナチュラルに出てくるものを見出したかった。まあ、そうやってると抽象的になりすぎるものもあるし、逆にメッセージを孕んじゃうこともあったから、そういうのはカットしたけど。たとえば〈そして僕は歌を歌う〉って曲があって、それは録音までしたけど、俺個人の色が強すぎると思ってカットした」
——じゃあ、いろいろ作ったけど削って削ってこれになった?
曽我部「まさに。曲にしろ、アレンジにしろね」
——曽我部くんから出てくる曲を聴いて感じたことはある?
田中「僕は最初に送ってくれた〈恋人たち〉の印象が強くて。それで『すごいいい曲だな〜』と思えたから、アルバムを作る意味があると思ったんです。録り方については、プリプロで演奏したものを使ったテイクとかあるし、気張って『よし、今日はレコーディングだ』みたいな感じはあまりなかったかも」
曽我部「でもそれがまた難しくて……たとえば〈恋人たち〉のデモなんて、仕事場で俺がテキトーにマイク立ててアコギでやってるだけなのね。それに田中が感動したとしても、さすがにそれをそのまま出すって頭はないじゃん(笑)。で、なんとかその雰囲気を再現しようとするんだけど、やればやるほど遠ざかっていって。結局『一番最初のものが一番正しい』ってことになるのよ。〈恋人たち〉もいろんなパターンで録ったけど、OKテイクはデモの上に3人で演奏をかぶせたもので。俺はね、本当はミックスにしろ、もうちょっと今っぽい、普通の人が首を傾げないようなものにしたかったの(笑)。でもそれって俺らにはできないのよ。だからサニーデイって、どのアルバムもちょっとボンヤリしてて、にじんでる音なんだなって思った」
——たしかに最初にアルバムを聴いた時、正直デモかと思ったというか、世間のCDとの音質の違いに驚いた(笑)。晴茂くんの感想は?
丸山「ボツった曲もあるけど、曽我部がデモをCDRに焼いてくれて、それを聴いた時に『いいものができるんじゃないかな』ってワクワクしましたよ」
曽我部「でもそのCDRの時のイメージには全然ならなかったね。去年の10月くらいに、『じゃあアルバムはこの10曲でいこう』みたいなタイミングが何回かあったんだよ。そういう感じで2回くらい固まりかけたけど、その度に変わっていって……」
——つまり去年1年かけて、試行錯誤しながらアルバムを練り上げていった、と。
曽我部「……まあ、しんどかったっすよ。自分が気に入ったものを作りたかっただけだけど……それでやっと『この10曲でOK』ってことになったんだよね」











 こんなに拙いものが世に出ることは80年代以降なかったと思うよ!
 でも、ここにある“えも言われぬグルーヴ感”がサニーデイなんだなって判断。
 だって、ホントにテキトーにやってるんだから(笑)。







——ここからは1曲ずつ、思い入れや制作時のエピソードを訊きたいんだけど。まずは本作の出発点になった〈恋人たち〉。これはさっきも言ってたように、最終形になるまで悩まされた?
曽我部「まあ、どの曲もそうだけど『何が本当なのか?』ってことなのよ。それは本当に悩んで……俺はスタジオでキレイに録ったテイクでいったんOKにしたんだけど、最初の方がいいって田中が言うから元に戻して……こんなガシャガシャしたアレンジになるなんて誰も思ってなかったね。もっとフワッとした流麗な曲だった。今ってマーチングバンドみたいな印象があるじゃん? それがいいって思った瞬間があって……決まったのはレコーディングの最後の最後ですね」
——曲を作ったのは最初だけど、レコーディングが終了したのは最後なんだ。2曲目は〈Somewhere in My Heart〉。これは途中のベースとドラムのバトルがすさまじくて。
曽我部「あれ、すごいよね!!(笑) こんなに拙いものが世に出ることは80年代以降なかったと思うよ! レインコーツとか以来」
——しかし、それがサニーデイっぽい。
曽我部「これもデモのつもりでやってるからね。リハスタで録ったから音も全然よくないんだけど、ただグルーヴだけはあった。その一点だけでこのバージョンが採用されたというか。録り直しもしたし、打ち込みバージョンも作ったし、ベースラインも変えたりしたけど、ここにある“えも言われぬグルーヴ感”がサニーデイなんだなって判断です。ホントにテキトーにやってるんだから(笑)」
——あの火花散るセッションは、演奏者としてどうなの?
丸山「なんとなくああしたかったんです(あっさり)」
田中「あそこは…………まぁまぁまぁまぁ(苦笑)」
——〈ふたつのハート〉は昨日のライヴでも披露してました。
曽我部「これも、もっとキレイなバージョンがあるよね」
——話を聞いてると、本当にどの曲も何パターンも作って吟味した跡があるね。
曽我部「竹内まりやファンも喜ぶようなキレイなバラードにもしてみたけど、それだとサニーデイとしての雰囲気がなくてさ。だから、とりあえず歌も演奏も一発で録ってみて。そしたら自分たちっぽかったから、それで決まり。テンポがどんどん変わっていくのが生々しくていいよね。最初はゆっくり始まるけど、自分も田中や晴茂くんの演奏を聴きながら歌ってるし、田中たちも俺の歌を聴きながら演奏しているから温度がちょっとずつ上がっていって——そういうのが伝わるいいバージョンだな、と」
——今回一発で録ったものって、どれなの?
曽我部「一発? 〈恋人たち〉はデモに重ねたものだし……〈Somewhere in My Heart〉も〈ふたつのハート〉も、そう。〈南口の恋〉も完全に一発……あ、〈まわる花〉も完全に一発だ! これはうまくいってるから、一発録りに聞こえないね。〈水色の世界〉……は違うか。あれは晴茂くんが叩いたコンガをループして、その上に俺と田中が歌とベースを乗っけたもので……」
——てことは、アルバム前半はほぼ一発録りが中心?
曽我部「うーん、そうしないとゴマカシちゃうと思ったんだろうね。やっぱりムードが大事だから。音をキレイにしていくにつれて、空気感は往々にしてなくなっていくからさ」






 バンドって呼吸とか色とか匂いの有無で評価しなきゃいけないのに、
 日本は上手い・ヘタだけで捉えようとする。
 海外だとヘタでも全然カッコいいバンドが歴史の中にあって……僕らはその最初ですよ!







——そういう意味で、今作のサウンドからは“サニーデイという強い個性”を感じました。ドラム/ベース/ギター/ヴォーカルって切り離せない、互いにめり込んでいるバンドサウンドというか、寄り添っている音の塊というか。
曽我部「4枚目のアルバム(『Sunny Day Service』)で同じようなことを試みたんだけど、その時は何かが足りなかったんだよね。あれも一発録りを繰り返して作ったけど、求めたものにはなってなくて。今回のは……親密感があるよ。だから、合ってるんだろうなって思う。今回もツアーやって思ったけど、プレイヤーとしてこの3人は揃ってる。きっとここにドラムが上手い人とかいても違うわけで。ただ、こういうのって評価されないじゃん? サニーデイって、演奏がヘタとしか認識されてないからさ(笑)。まあ、それが日本の文化レベルを表してるというか、バンドって音が揃ってて、そのバンドの呼吸とか色とか匂いの有無で評価しなきゃいけないのに、日本って上手い・ヘタだけで捉えようとする。アメリカだとシャグスってバンドがいたり、イギリスだとレインコーツってバンドがいたり、ヘタでも全然カッコいいバンドが歴史の中にあるんだけど、日本だと淘汰されていないよね……まあ、僕らは、その最初ですよ」
——でもその想いは確信犯的にあるでしょ?
曽我部「あるある! ただ、『この空気感は上手いバンドには絶対出せない!』とか『俺らの誰かがちょっとでも上手くなると、このバランスは崩れてしまう!』とか言われたことはないよ(笑)。俺らはそう思ってるけど、世間的にはただのヘタ(笑)」
——ははははは、「練習なんてしちゃダメだ!」とか言われないんだ。
曽我部「練習はしてるんだけどね(笑)。でも、それはこういうふうになるための練習をしてるわけで。俺だって早弾きの練習をすればできるようになるんだよ。ただ、俺は早弾きする人じゃないから、早弾きしない自分のスタイルを練習するだけで。ニール・ヤングも『絶対ブルースのスケールを覚えたくない』って言ってたからね。それを弾けちゃうようになるのがイヤで、自分は自分のメロディーを弾ければいい、って」
——拡げれば拡げるほど薄まるものもある、と。
曽我部「音楽にしろスポーツにしろ、“100ある中で50をやる”ことが美徳とされるけど、本来はその“50が100”であるべきなんじゃないかな? “それがMAXで、精一杯努力して練習したけどこれなんだ”ってことの方が大事というか」
——“それしかできないこと”を精一杯やるカッコよさ?
曽我部「そうそうそう! 音楽と違ってマンガなんて日本はレベルが高くて、蛭子(能収)さんの作品も評価されてるわけじゃない? あれは、蛭子さんとかテリー(ジョンソン)さんが、80年代“ヘタウマ”と呼ばれながら変えていった功績だけど、サニーデイをヘタとしか評価しないのは……日本の音楽のレベルをすごく表してると思うよ!!(怒)」








全曲解説しているはずが、まだ3曲目なのに横道裏道、そして前半戦はここでタイムアップ。
ちなみに前回同様、曽我部くん、晴茂くんはノンアルコールなので、アタマは冷静なままである。


さて、次回ついに最終回を迎えるこのシリーズ、またしても予告をしておくなら、
「『本日は晴天なり』というストーリー」
「MVPプレイ」
「ノスタルジーとリアリズム」
ほぼ、“ネタバレ”感満載の内容なので、まっさらな状態でCDに臨みたい方は
ご自身の感想がまとまるまで閲覧は避けた方がいいと言っておきましょう!



photo by masafumi sakamoto



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