ロングインタビュー1 "サニーデイ・サービス2010 後編"





取材を受けること自体が何年ぶりになるのだろう、
「3人そろってサニーデイ・サービス」、インタビューは後編に入っていく。

08年に行われた再結成ライヴまでのいきさつを主に訊いた前回だったけど、今回はそこからレコーディングに至るまでの道のり、さらに話題は派生して、「サニーデイとは何だったのか?」という内容へ。

あっけらかんと頭の中を開いていく曽我部くん、
なんだか困ったような笑い顔を浮かべている田中くん、
どこかあらぬ一点をポケッと見つめている晴茂くん——

引き続き、場所は下北沢の居酒屋、そろそろ22時を過ぎる頃、
相変わらずテンポも穏やかに、崩れることなくトークは続いていくの巻!






 もう1回青春に戻るって、『劇画・オバQ』の痛みしかない気がするのね(笑)。
 もう1回傷つくというか、もう1回失敗するというか。
 その“戻れなかった”ってことで、『オバQ』ってものがやっと完結すると思うし。







——さて、再結成してライヴすることから、レコーディングに至るまでは、もう1回大きなジャンプが存在すると思うんだけど。
曽我部「そうだね、レコーディングなんて全然想定してなかったし」
——お祭りのように再結成ライヴを楽しんで、それで終わってもよかったわけじゃない? それなのにスタジオに入った理由は何だろう?
曽我部「ライジングに出た時は、俺はその時こっきりのものでよかったんだよ。それを続けてどうにかしようとは思ってなかった。みんなそうだと思うけど。で……どういう流れだっけ?」
田中「08年の年末に、曽我部が『曲ができた』って送ってくれて。それがアルバム1曲目の〈恋人たち〉で。それを聴いてすごくいいなって思って、俺はやりたい気持ちが上がったんだけど」
曽我部「ライジングはお祭りだったけど、そこから1回醒めて『それでもサニーデイで何かやってみたいかな?』って思った時、やってみたいと思ったのが純粋なきっかけではあるよね」
——たとえばすごく盛り上がった同窓会があったとして、その後に直接連絡してまた会う、っていうのは大きな違いがあるよね。サニーデイでやりたい曲ができたの?
曽我部「いや、俺はやろうと思って曲を作り始めるからさ。『サニーデイでアルバム1枚くらい作ってみようかな』っていう前向きな感情が湧いたから、曲を作り始めたんだよ。で、やるならライヴも含めて3人だけでやりたいと思ったし」
——ライジングでライヴをやったことで、歯車が回り始めた?
曽我部「まあ、きっかけとしてはあるかもね。たださ、その時点ではこういう方法もあったんだよ。サニーデイをものすごく分かりやすく培養した、すごくポップで、すごくハイファイで、どこか懐かしいようなポップスとして打ち出すってことも可能だったんだ。だけど、結局そうはならなかったんだよね。俺はそれにつまらなさを感じたというか」
——あまり惹かれなかった?
曽我部「同時期にユニコーンが再結成して、俺にはユニコーンはそっちの方に思えたんだよ。そういうものではない何かがやれたらおもしろいと思ってて……………………連載が終わってずいぶん経ってから藤子不二雄が描いた『劇画・オバQ』って話があってさ(笑)。正ちゃんたちは大人になって、サラリーマンになってて、そこにオバQが帰ってくるってストーリーで。切なくて哀しいんだけど、それがすごくいいのね。そういうことがやりたい、っていうか……もうね、Qちゃんが家にいても本気でイヤがられたりするの(笑)。Qちゃんはメシもすごい食うし、奥さんからも『いつまでいるの?』とか言われて。で、最後のシーンは、『正ちゃんバイバイ』ってQちゃんが空に帰っていきながら、昔、正ちゃんが描いた“オバQ天国”の旗がブワーッと舞ってて……」
——あー、憶えてるわ!
曽我部「もう1回青春に戻るって、なんかそういうことでしかない気がするのね。もう1回傷つくというか、もう1回失敗するというか。最初は、自分の音楽人生の中のひとコマをお客さんにプレゼンしてみるつもりの、ハリウッド風リメイク感覚だったんだけど(笑)、そんなふうにうまくはいかないんだよ。その『劇画・オバQ』の痛みしかないというか。でも、お客さんにとっても、それは大事だと思うんだよね。その“戻れなかった”ってことで、『オバQ』ってものがやっと完結するわけだし」






 大事なのは、もう1度演奏することによって、
 演者自身がいやがおうにも“ある地点”に戻らされてしまうこと。
 10年という時間の残酷さとか、重みとか、リアリティとか……
 僕たちが見せるべきものっていうのは、そこしかないんだよ。







——“くしくも”という感じがするんだけど、ちょうど同タイミングで、小沢健二さんが『LIFE』の頃の曲を当時と同じメンバーで再演するニュースが入ってきて。
曽我部「うんうんうん……でも俺の美学には、このやり方しかなかったんだよね。3人でもう1回『東京』の裏ジャケみたいなところに行って写真を撮るとか、やっぱないよ(笑)。それぞれ、再演をする裏にはいろんな理由があると思うけど、それより大事なのは、もう1度演奏することによって、演者自身がいやがおうにも“ある地点”に戻らされてしまうこと。それは避けられないことだし、人間が時間を自由に扱えるなんてことは絶対ないからさ。そこだけは観る価値があるかもしれない」
——「あの日々を、今もう一度!」みたいなことにはならない?
曽我部「10年という時間の残酷さとか、重みとか、リアリティとか、歌い手には出ちゃうでしょう? それは魅力的だよね。最悪なのは、上手くやっちゃって、たとえば〈ラブリー〉が当時みたいに聞こえちゃうこと。それは何の意味もないし、それこそ舞台上に本人がいなくてもいいよね。CDとかDVDでいいわけだから。だから今回(サニーデイが)ツアーを回ってみて、見せるべきものっていうのは、そこしかないんだよ。変わっちゃったほとんどのものの中に、変わらなかったものが見えればいい——それはお客さんの中での、変わらなかったものも含めて」
——そう考えると、お客さんも試されるところがあるのかもしれない。
曽我部「でも、それは実はいいことだと思う。かなり微妙なことだとは思うけど……」
——では、サニーデイとして実際ライヴをやってみて、どうだったの?
田中「大変なことはいろいろあったりするけど、言わなくても分かるところはあったりするからね。ニュアンスがすぐに伝わるところはいいなと思う」
丸山「俺は最近、あまり大変だと考えないようにしてる。自分で大変だと思うと、本当に大変になっちゃうから(笑)。リハでもライヴでも、気持ちいい演奏をすることしか考えてないですよ」
——それで気持ちいい演奏が——。
丸山「いや、できてなかったりするんだけど(笑)、まあ、そこを目標に……」
曽我部「特に3人だけでステージに立つことには慣れてないから、まな板の上の鯉っていうか。ソカバンは百戦錬磨だから、お客さんをどういうふうにでも持っていけるけど、サニーデイはひたすらいっぱいいっぱい(笑)。最初に言ったけど、自分のスキルがまるでない状態に戻っちゃう。その呪縛が強すぎる!」
——自分から飛び込んでみたくせに、何のためにやってるのか、まるで分からない(笑)。
曽我部「でもそれって、ピカソが本当はすごく上手に絵を描けるんだけど、スキルを全部取っ払ってキュビズムに行ったようなことかもしれないじゃん?」
——ものすごいデカい喩えだ(笑)。
曽我部「いや、でもそのへんのこと、もう一度調べたんだよ。鍛錬とか修練で得られるものと音楽の関係。テクニックを使ってないミュージシャンの人っているけど、その中には意図してテクニックを使ってない人と、そもそもテクニックがない人、両方のタイプがいて、興味深いのは前者? テクニックのないことを自分のアイデンティティにしてる人——たとえばブライアン・イーノがそうで——それをおさらいすると、おもしろいものがあっんだよ。サニーデイが向かうべきようなところも、そこにあった気がするね。当時は『上手くなんなきゃ、ビーチ・ボーイズみたいになんなきゃ!』って意識が強かったけど、今はもうちょっと俯瞰して個性が見えるようになったんでしょう」






 レコーディングでは、サニーデイってことを強く意識した。
 みんなが親しんできたサニーデイ・サービス像は絶対外さないよう心掛けたし。
 もう1回メロディの中に聴いた人が戻っていけるもの——
 そうじゃないと、やる意味がないと思ったからね。







——ところで、昔のサニーデイの曲とか聞き直したりしてた?
曽我部「ほとんどしない」
田中「まあまあありますよ」
曽我部「それは他人の曲だからだよ(笑)。普通に他人のレコードを聴くのと同じ感覚で、田中は聞けちゃうんだと思う。それはすごくうらやましい! 俺はマスタリングした翌日からは一切聴かないから」
田中「まあ、自分が詞曲を書いてるわけじゃないからね。もちろんしばらくは聴けなかったけど」
——でも今はドライブのBGMとかで?(笑)
田中「それはない! それやってたら危ないから!!」
——あと、シャッフルで急に出てきたりとか(笑)。
田中「シャッフル時にはスキップするようにしてるから!!」
——晴茂くんは聴いたりしてた?
丸山「たまーに聴いたりしてましたよ」
曽我部「『劇画・オバQ』じゃないけど、あまりにも生々しいものって、ちょっと触れると怖いところもあるよね。昔の彼女の写真とか、『ブスだったらどうしよう……』みたいな(笑)」
——アルバムのレコーディングはもう終わったみたいだけど、何曲入りなの?
曽我部「10。サニーデイはなんか10って感じがして。時間的にもコンパクトなのは、『アルバムとして聴いてください』ってことだし、当時そうやって聞かれてたと思うし。ここからヒットシングルを生もうって計算はなくて、サニーデイのアルバムをみんなが当時聴いていたように、この新作を聴いてほしいってだけ」
——サニーデイってことで、作る曲を変えたりっていうのはあるの?
曽我部「いや、ないよ。不思議なもので、サニーデイに向いてる時はサニーデイの曲しか作らないし」
——あ、この曲はサニーデイで、この曲はソカバンが合うかも……みたいな仕分けはないんだ。
曽我部「うん、時期によって分かれてるというか、そういうモードに集中しちゃうんだよ。今はサニーデイのレコーデイングが終わったから、ソカバンの曲ばかり作ってるし」
——じゃあ、サニーデイってことを意識せずにレコーディングに入った?
曽我部「いや、それは意識した。音楽の在り方として、“みんなが親しんできたサニーデイ・サービス”ってものがあるから、そこは絶対外さないように心掛けたし。僕たちが求められるサニーデイ像……新しい何かっていうより、もう1回メロディの中に聴いた人が戻っていけるもの。そうじゃないと、やる意味がないと思ったからね。ただ、そこで“サニーデイっぽいことをやりました”だけになるとアウトだから、でもそこは上手い具合にちゃんとしたものができるんだよ。らしさもあるし、今の等身大の自分たちも出てる——そういうものに仕上がったと思うよ」











 サニーデイは、手紙だったんじゃないか?
 となりのクラスにいる誰かだったんじゃないか?——
 そうだとしたら、大資本でやっちゃうと何の意味もないんだよ。
 それはすごくお金をかけて、同じストーリーを3Dでやるようなもので(笑)。







——そもそも曽我部くんの思う“サニーデイらしさ”って、どんなものなんだろう?
曽我部「温かさと冷たさが同居してる感じ? すごく親密な感じがありつつも、どこかで——シニカルじゃないけど——醒めてる、それが同時にある感覚というか。俺にとってはそれが90年代の感覚なんだけど、サニーデイの特徴だと思うよね。俺の今の活動はそれを払拭しようとして、より親密さを強く出したり疎外感を出したり、表現が直接的っていうか」
——あくまでも音楽性じゃなくて、質感なんだ?
曽我部「あとは…………ヘタ?(笑) ヘタっていうと語弊があるけど、まあ、それは俺らがレコーディングのやり方を知らなかっただけで。ミュージシャンじゃない人が音楽を作ってるっていう、パンクでD.I.Y.な状態? それは今回も大事にしてて、流麗なピアノが弾けるピアニストとかをゲストで呼んだりはしてないからね」
——今回サニーデイが10年ぶりにアルバムを出すことに対し、個人的には「そんなにニュースになっていいの!?」って気持ちもあって。別にそれほど売れたわけでもないし、特別テクニカルなわけでもない。なのに解散以降も多くの人を惹きつけている——その理由って、自分たちでどう思ってる?
曽我部「たぶん、聴く人にとって、俺とか田中とか晴茂くんが身近だったんじゃない? たとえば高校のクラス、自分はA組だったとして、会ったことも話したこともないんだけど、センスのよさそうな人がD組にいるよね——みたいなさ。そういうリアリティとか親近感? 俺は音楽が優れてるから受け入れられたと思ってたんだけど、決してそうじゃなくて、身なりとかヘタさ加減も含めて聴く人とレベルが近かったんだよ(笑)。もっというと、生活レベルとか含めて、精神性も近かった。実際、当時もとなりに住んでる女子大生となんら変わらない生活してたしね。みんながサニーデイを好きで、自分の青春の記憶の中にいるような気がしてるのは、そういうことなんだろうと今は思うんだ」
——親近感だったのかな?
曽我部「よく言うと、遠い友達から手紙が来たような感覚で受け取れるもの。もっと言うと、クラスメイトが作ったデモテープをムリヤリ聴かされている感じ、だったかもしれない。だから、いま改めてやるにしても、やり方は考えるよね」
——ある種“理想の、遠い友人”だったのかも。そんな人を求めている人に、サニーデイははまった。
曽我部「今回もう1度やるにあたって、田中は大きいレコード会社で、宣伝費をたくさんかけて売り出そうって主張したの。俺は、それももちろん理解できるけど、これまでのリスナーに対してそういうやり方は違うんじゃないかと思って。『それをやられて誰が嬉しいんだ?』って思った時に、自分らを含めて誰も嬉しくないなって思ったんだよね」
——田中くんは大会社でドカンといきたかったんだ?
田中「まあ、俺はサニーデイをやっていたのと同じ年数、メジャーのレコード会社と仕事したからね。そこで『いままでって何だったの!?』って思ったし、同時に『もし、この中でやってたら——』みたいなことも考えたし」
曽我部「俺も最初はそういう方向を考えたんだよ。せっかく10年ぶりにやるんだから、MAXの利益を生むやり方をチョイスすべきだと思ったし。でも、よくよく考えて、さっき言ったふうなことに自分の中では落ち着いたのね。『サニーデイは、手紙だったんじゃないか? となりのクラスにいる誰かだったんじゃないか?』って。そうすると、大資本でやっちゃうと何の意味もないんだよ。それはめちゃくちゃお金かけて、同じストーリーを3Dでやるようなもので(笑)。そのことについては、田中と喧々諤々議論したよ。もちろん、いいものを作ろうってところではまったく変わらないんだけど、サニーデイは結局いいものを作っただけじゃなかったからね。そういう“たたずまい”がサニーデイだったんだよ」






 10年ぶりに会って変わった部分は……
 晴茂くんは、より体が弱くなった(笑)。
 今回はレコーディングしてる最中、RECボタンを押してる間に倒れたからね。







——では、ここでそれぞれに対する変わった部分/変わらない部分を教えてください。まず、田中くんから。
田中「曽我部は変わってないよ。でも作業として、プロデュース業をいっぱいやってきたなって感じはする。現場での指示が早い」
曽我部「田中もレコーディングのアレンジがめちゃくちゃ早くなってた。たぶん全然興味ない人のバックをいっぱいやったんだろうな、と(笑)。サニーデイの時はもうちょっと考えてやってたけど、今は初見でパッパッと弾けるっていうか」
田中「演奏がしっくりいかなくても『オツカレー!』みたいなね(笑)。でも……基本的には変わってないですよ」
曽我部「(しみじみと)……人間ってホント変わらないですよ」
——じゃあ晴茂くんに関してはどう?
田中「晴茂くんはホントに変わっていない!(笑)」
——変わった部分はないの??
丸山「(あっけなく)ないね」
曽我部「体が弱くなったぐらいかな? より弱くなった(笑)」
田中「だって前はレコーディング中に倒れたことなかったからね」
曽我部「今回はRECボタンを押してる間に倒れたから! これホントだから(笑)。それで1本ライヴが飛びそうになって、俺と田中でやったんだよ!!」
丸山「そのことも俺は憶えてないんだけど……」
——確かに変わらないというか……奇跡の再結成だよね。では晴茂くんから見ての2人は?
丸山「まあ、変わらないですよ。最初3人で会ってみて『何か変わったのかなぁ?』と思っていたけど、しばらく一緒にいると『何も変わってないな』と」
曽我部「逆に変わってたらできないよ」
——でも10年ぶりなわけでしょ? 10年って結構な長さじゃない? 曽我部くんだって会社立ち上げたり、いろいろあったはずなのに——。
曽我部「まあ、子どもができたりとか。そのへんの感覚は大きく違うと思うけど」
丸山「あー、そういうの見てると、曽我部もだいぶ変わったな、と思うわ」
——じゃ、曽我部くんから見ての2人って、どう?
曽我部「変わんないっすね。ただ、みんなちょっとずつ社会に慣れてはいるよね。感覚が鈍ってるというか、感情の起伏を抑える術を身に付けた感じはする。それが年月を経るってことだし、そこで『まあ、こんなもんかな』ってその抑えた状態をデフォルトと思い込む人もいっぱいいて、そうなってくると音楽とかできないと思うけど、そうはなってなくて。岡本太郎とかではないかぎり、誰しもがそうなっていくからね。そうじゃないと生活できないし、そういう部分は3人ともあると思うよ」






 『若者たち』をハタチで聴いて、いま35になった人に何を届けられるのか?
 どんな感動なり物語があるか?——問題はそれだけだから。
 だから勝負すよ!
 こんな気持ちでCDを出すことなんて、これまでなかったよ。







——さて、そんな中で、『若者たち』からちょうど15年後の4月21日にアルバムが出るわけだけど、15年経った“若者たち”は完全に“中年たち”になっているわけで。たとえば20歳で『若者たち』を聴いた人は、今やみんな35歳——。
曽我部「いや、もう不安すよ、不安!!」
——いまさら何、言ってるのよ!
曽我部「ホント大丈夫なのかなぁ……って。逆に言うと、もう“作りもの”の域を越しちゃってるからさ。『いい作品を作りました』ってことで評価される場でもなさそうだし。『若者たち』をハタチで聴いて、いま35になった人に、何を届けられるのか、どんな感動なり物語があるか——問題はそれだけだから。だから勝負すよ! こんな気持ちでCDを出すことなんて、これまでなかったよ」
——曽我部くんと田中くんが今38、晴茂さんが今39、つまり『若者たち』を出した当時は23とか24だってわけで。
曽我部「そんな若かったんだ!?……でも再結成してよかったかどうかは、まだ分からないね。ただ、ひとつだけよかったのは、もう一度やることができたこと。作品がどうあれ、そこだけは素晴しいことだと思うの。二度と観れないと思ってた人の前に行くことができたのは、いいことだと思うよね」
——この歳になると、いつか会おうと思ってた友達に二度と会えなくなることもあるし。
曽我部「あと、同い年だと音楽を聴き続けてる人の方が絶対少ない! だって40って会社とかだと中間管理職に入っていく歳で、それなのに新譜がどうとか言ってられないでしょ(笑)。でも、そういう人が数年ぶりにCDを買ってみるっていうのが、商売とか関係なく、魔法のようだと俺は思ってて。アルバムも『そういう状況の中で、この音が流れたらいいな』っていう音を作ったつもりだからさ。今はそれが楽しみでもあるし、不安でもあるよ」
——ひさしぶりに音楽ってものに触れてみた時に、聴き手の心に何が起こるか?
曽我部「なんかもう、売れたらとかどうでもいいんだよね。たとえば、子どもがいて、中間管理職であくせくしてて、でも押入れの奥のダンボールに、俺が原始人のコスプレで写ってる『バァフアウト!』がまだ入ってるような(笑)、そんな同い年の人がCDを買ったらいいなと思ってさ。それが俺たちが今できる“魔法”というか“奇跡”だと思うんだよ。だってそんなこと、起こりえなかったわけだよ。その人はダンボールに『バァフアウト!』を詰め込んだまま、次は部長になって社長になるかもしれないし、子どももどんどん大きくなって若い頃のことなんて忘れてしまうはずだったんだよ。だけど、それがもう一度人生のあるポイントで俺たちと出会う——そのことが自分たちのできるMAXだと思うんだよね」
——言い換えると、あの時期があったからこそ効いてくる物語の続編、があるのかも。
曽我部「こう言うと語弊があるけど、若い人にもっとサニーデイを知ってほしいって気持ちはそれほどないんだ。最初は、若い人たちのためにもう一度サニーデイをリプリゼントするつもりだったけど、もはやそういう感じじゃないんだよ」
——ピンポイントかもしれないけど、あの時期に青春をすごした世代のために鳴らされる音楽。
曽我部「……それが時間の魔法っていうかね。10年っていう時間が流れたからこそ、できることだし。何にせよ、3人でまた集まれたことが奇跡だよ。晴茂くんなんて絶対死んでると思ったし(笑)。昔は『晴茂くんが生きてたら再結成しようね』って冗談で言ってたのよ。それが生きてるんだから……そりゃあ、もう一度やるしかないよね(笑)」








23時をすぎ、終電が気になり始めた頃に自然と会はお開きになった。
まだ会社に残って作業するという曽我部くんと駅の南口で、
田中くんと晴茂くんとは駅の改札で、手を振って別れる。

次回はウワサのアルバム『本日は晴天なり』を聴いてから
再度「3人そろってサニーデイ」インタビューを行う予定。
さてさて、“時間の魔法”はもっと動き出してしまうものか?——
さらにさらにさらに、乞うご期待なのであった。



photo by masafumi sakamoto



ロングインタビュー2 "サニーデイ・サービス『本日は晴天なり』前編"へはこちら









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